経バナCafe

経バナ(経済バナシ)と読書とハッピーを♪

罪悪感の飼いならし方

なんでもないときにふと、気づきました。
私の思想は「罪悪感」がかなり占めるなと。
フル勤務しつつ、息子の闘病生活しつつ、自分が心身限界で休んでも、休む事へ罪悪感。
自分のことを少しやるだけで、罪悪感。
いつしか限界以上に追い込まれ、倒れるまで何かをやり続けることに。。。


今も名残りはありますが、昔よりはだいぶゆるゆるになった気がします。
私は自分の感情の把握が上手でなく、制御も下手。
以前は抱え込みながら、自分の感情や辛さを把握できず、制御できず限界まで対策できなかったように思います。
だいぶできるようになったのは、日記かなぁ。
色々書き出すコトで、自分の感情に気づくのがうまくなりました。


把握できると、それに対して対処できるし、感情の上書きができます。
例えば、「息子が冬休みの間に自分の用事で家を開けるコトへの罪悪感」
→いやいや、ムスコさん。私いなくてのびのびじゃ〜ん。(実際息子に聞いたらひとり時間満喫で大喜び)みたいにw
これも書き出しすると、自分の思考のクセも読めるし「文字」として客観視することで、いかに自分が自分にありえない厳しさを要求していたか気づく事もできるのです。


しみじみ、思うコト。
能力値的に優秀でも、限界まで頑張って壊れる人間は組織において「優秀」ではありません。
大事なヒト、大事なモノを本当に守りたいならやはり、限界まで頑張っちゃいかんわけです。
滅私奉公せず、適度に手を抜きつつゆるく生きるのが人生後半戦の目標ですね〜。