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明けない夜はない

月並みな言葉ですが。
息子の闘病生活で、深い霧の中にいた私が支え(というより呪文❓)にしていた言葉の一つです。
息子は重度の中耳炎でした。
耳鼻科に週3週4で通い続け、出る抗生剤はことごとく聞きませんでした。
急性を繰り返し、耳垂れが鼓膜を押して出るまでは痛みを伴い、側にいる私も苦しかった。
あまり無理のきかない私ですが、仕事をし、通院をし、家事育児をして、極度のストレスと疲れが溜まりしょっちゅう自分自身も高熱を出し、不調が当たり前の毎日を送っていました。


中耳炎の再発が続けば、成長するはずの耳の中の骨が成長できない。
難聴が残る可能性が高いと医師に言われました。
必死で中耳炎が再発しないよう、風邪をひかせないように気をつけました。
疲れをためないように早く寝かせるため、様々な努力を重ねました。
自分の体が(情けないことに仕事から帰ってくると毎日激しい頭痛や倦怠感が襲っていたのです)許すまで、とにかく耳鼻科に通いました。
空いている時間を、中耳炎についてネットで片っ端から調べました。
大学病院の治験で、漢方薬が有効という論文を読み、試しました。
鼻がズルズルだからいけないと思い、病院で使うような鼻吸い器も購入しました。
できることをできる限り、あらゆることを試しました。
結果、あらゆることに失敗しました。。。


その頃の私はもう、心身ともに限界以上行っていたんだと思います。
頑張ってはダメ、頑張ってはダメ、息子には負担をかけ続け。。。
真っ黒に染まった心はあるとき、真っ白になりました。
もう、動けない。
ショックって多分、限界まで行き着くとショックすら感じられなくなるんですよね。
そんな時に必死に言い聞かせた言葉です。


明けない夜はない。
本当なんだろうか。
いつか朝が来るんだろうか。
いつか来る朝を信じられぬまま、ただ心でつぶやきました。
倒れたら犠牲になるのは、私じゃない。
その思いで必死にあがき続けて、数年。


朝は来ました。
息子は中耳炎のチューブ留置の手術を繰り返し、鼓膜に穴が開いていました。
中耳炎が改善してからも、穴をふさぐ手術をし、失敗して繰り返し。
やっと、発症から10年程で完治できました。


あんなに光が見えなかった日々にも、朝は来るんだ。。。
ようやくたどり着いた時は、「闇」が長すぎて喜びよりもなんだか夢のようでした。
信じて力をもらったというより、絶望に引きずり込まれないよう、呟いていたという方が近いかもですが。
ものすごく月並みだけど、これから先辛いことがやってきたらこのコトバを唱えつつ、あれこれ動こうと思います。