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解夏

さだまさし著です。
ベーチェット病に罹患した主人公が、婚約者と別れ、教師を辞めて郷里へ戻ります。
ベーチェット病というのは、口内炎、陰部潰瘍、虹彩毛様体炎を主訴とする原因不明の難病。
だんだん視力をなくし、失明すると主訴から開放されるという特徴をもちます。
この話は主人公が、視力を失くすまでの話です。
かなりネタバレになりそうなので、お嫌な方はこの先避けてください。






大昔に読んで、久しぶりに読み直したくなったのは、短編であるこの話から衝撃を受けた言葉があったからです。
主人公が同じ病で失明した人に話を聞く場面があるのですが。
その方は、失明についてこう語ります。
「失明するってことはね、明るいところから闇に突き落とされると思っていたんだ。だがそうでなく、乳白色の霧の中にいると思えばいい。」
「光が見えるから暗闇が見えるんだ。暗闇というのはねぇ、光が見えない者には存在しないんですよ。」と。


自分のぼんやりとイメージするものと、それを実体験している者の感覚は全然違うんだ。。。
そんなふうに、まとめていいのかな。
でもそれも、あとづけな気がします。
強烈な苦しみと思える「失明」、イメージは黒であるものが乳白色の霧なんだ。。。
なんとも表現ができない、ただそれだけにこの話に触れたとき、言い表せない衝撃を受けたのです。


なぜこの話が解夏というかは、郷里のお坊さんとの話によります。
禅宗でのいわゆる修行の開ける日が解夏なのですが、主人公は失明する恐怖という業を背負い、それから開放される=失明する日が解夏であるから。
短編なのですが、とても深い部分と、話全体が美しい作品です。


読み返したいな、と思ったのは。
こないだ「絶望」が真っ黒いどろどろとした何かでなく、行き着いた先が真っ白で空虚なものだとブログで書いてから。
あぁ、解夏のあの衝撃に似てるなと。
ようするに私のその感覚は、解夏に影響を受けたんだなって気づいたからです。
今回読み返してもやはり、「感想」より「衝撃」や「美しさ」を感じる話でした。
今度読むときには、自分自身で語る言葉を表現できるのかな。。。
今回もまた、「衝撃」でいったんは終わりにしておきます。