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自分の性格は、自分を助けてくれるために存在する。

私の正義感の強さは、昔からのようです。
幼い頃、中学生がゴミをポイ捨てをしている姿に、ゴミを捨てちゃいけないんだと注意したことがあり。
一緒にいた母は、ぎょっとしたらしい。
そして私はこの性格を、好きではありませんでした。
正しいと信じたことは、止まれない。
誰かを傷つけても、行動してしまう。
だいたい正義なんて、人の数ほど異なり、私の正義が、絶対正しいわけではない。
分かっていても止まれない。


ただ最近、この性格が私を守ってくれたと、思うようになりました。
私は毒親育ちだったようで、昔から得体の知れない不安を抱えながら生きてきました。
自分の存在価値がわからない。
自分は他人を不快にさせる存在ではないか、誰かと関わる資格なんてないのではないか。
自分はおかしいのではないか、いびつなのではないかと思いながら生きてきました。
自分がしあわせになるのが、恐かった。
自分の望みはわがままだから、望んではいけないと思ってきた。


最近自分が、支配され搾取されてきたことに気づきました。
自分を知るために「毒親」で検索し、色々学んでいます。
性格等はまさに「毒親育ち」ですが、典型的な毒親育ちの方よりところどころ薄い部分があるように思います。
なぜだろう❓
結婚して一緒にいる旦那や、息子からたくさん与えてもらえている事も大きい。
周りに恵まれた事に感謝しています。
そして実はこの性格が、私を守ってくれていたのではと気づきました。


私は「卑怯」が大嫌いです。
これまで親に正論を言えばわがままだ、思いやりがないなどと言われ、何かを奪われる怖さから、親の卑怯さに気づかないふりをして生きてきたように思います。
だから私は最近まで、自分の感情や望みにひどく鈍感でした。
全てを押し込めていないと、親に対しての不条理を飲み込めなかったのでしょう。
ただ心の奥底では、親が卑怯であるという憤りをずっと感じていたように思うのです。
だからこそ、絶対的に許せないものがあったからこそ、支配に抗う何かもあったのではないか。
そう思うと、嫌だった自分の性格ですが、私を必死に守ってくれる壁だったのだと思います。


ただもう、これまで充分守ってもらった。
ありがとうとお礼を言って。
人生の後半戦は、傷を抱えてあっぷあっぷで生きるのでなく、人を思いやる余裕を持ちたい。
もう誰も、私を傷つけることはできないのだから。
私は私自身の決断で、自分の人生を生きると決めたのだから。