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心を地獄の業火に焼かれながら、自分の意思を貫き通す。

自分の望みや思いを突き通したい時、他人を傷つけてしまうことがあります。
他人の望みと相容れないことがあります。
そんな時、自分を貫くべきか悩みます。
私はわがままなのだろうか、私が我慢すれば良いのではないだろうか。
言い出せず、動悸は激しく、自己嫌悪で心は焼き尽くされそうになったりします。


最近気づいたことなのですが、どうも自分は毒親育ちだったようです。
流行りの言葉に乗っかるのも、自分が被害者みたいな言い方をするのも、好きじゃない。
ですが、支配の鎖に気がついてしまい。
今でも半信半疑ですが、調べれば調べるほど、自分が毒親育ちの弊害を受けている事に気づいて戦慄しています。


おそらくそのせいで、私は私の望みを言うのがとても苦手です。
何か気に入らない言動をすれば、わがままだ、思いやりがない、親不孝だなどと言われ続けたせいでしょう。
さらに「言われなくても常識だろう」も、口グセの親で、いつも何言われるか内心びくびくしていた気がします。


社会人になっても、職場の上司や先輩などに意見をするのも、動悸がひどく、いつも自己嫌悪を感じていました。
言わないと仕事が回らないので、言ってたんですけどね。。。
人との付き合いも、自分の望みを言ってしまうと、人が離れていくのではないか。
そもそも私は、人と付き合う価値がないのではないかと思って、いまだに上手ではないです。


ある本を読んだとき、「心を地獄の業火に焼き尽くされても、自分の意志を通す。その決意をすることが、自分自身に責任を持つことだ。」というような文言を目にしました。
すっごく勇気をもらいました。
自己嫌悪に心は焼き尽くされ、苦しみながらでも、言うべきことは言う。
戦うべきは戦うと、改めて心に決めました。
そしてその苦しみを、自ら引き受ける事も。


自分の決断に自らで責任を負うと覚悟すると、人生は軽やかになります。
他人のせいにしたり、「ガマン」して逃げてしまっても、自分の意思で決断した事にはならない。
心のどこかで自分の弱さ、卑怯さを責め続け、主体的な人生を歩めなくなると思うのです。
私は卑怯でだけは、ありたくない。
誰かを傷つけても今後、貫くべきことを貫くと思います。
それで誰かを失うことになっても。